予期せぬ妊娠でお悩みの方と赤ちゃんの命をお守りし温かい家庭への特別養子縁組をサポートする特定非営利活動法人NPO Babyぽけっと

真実告知語録

★★★真実告知語録★★★

はじめて真実告知をされたときのことを養親様に伺いました。また、二回目三回目と真実告知を重ねていらっしゃる方のエピソードもお待ちしております。



◆ケースNo.10
※平成28年6月25日の真実告知のシンポジウムで発表された内容です。



フラワーさん




◆ケースNo.9
※平成28年6月25日の真実告知のシンポジウムで発表された内容です。



四つ葉のクローバーさん




◆ケースNo.8
※平成28年6月25日の真実告知のシンポジウムで発表された内容です。



yutapa&yutamaさん




◆ケースNo.7

◆告知実施日及びその場所:2012年3月
◆当時の子供の年齢:6歳3ヵ月
◆家族構成:父・母・長男・祖父母(母方)
◆実際告知した人:母

◆告知内容は?
 (H26年シンポジウムでお話しした内容です)

ご紹介に預かりました、佐藤と申します。宜しくお願いいたします。
私達夫婦は、2006年夏の終わり頃に、マザーさんと(前会OB)ネットを通してではありますが、初めてお話をさせて頂いたのが始まりです。

息子が二歳、三歳と成長するにつれて、私達は告知のことでも考えはじめ、何度も何度も話し合いました。どの位話してわかってくれるのだろうか…話をしてから息子はどうなっていくのか…。
妻の考えは「きっと息子なら、わかってくれる、絶対に大丈夫!」との思いもあり、いつの日か、告知は母親がしようという考えに私も賛成しました。

息子の六歳の誕生日が過ぎたため、春になり近くの公園に遊びに行きながらの告知を心みました。その日は、なかなか言い出せないまま、一緒に食べようと持って行った弁当を食べて、遊んで帰ってしまったそうです。
 
次に、四日間連休が続いたので、その中で試みようと考えました。一日、二日とだんだん過ぎていき、あせる気持ちもあり、連休最後の日、二人でお風呂に入っている時に「これはチャンスだ!!」と思って息子に話したようです。
「あのね、●●を、産んでくれたお母さんがいるんだよ。●●の目の前にいるお母さんは産んであげられなかったけれど、●●のお友達と同じように、変わらず、私がお母さんなんだよ」と、言いました。妻は、恐る恐る「どう思った?」と聞いてみると「嬉しい~(^-^)」と笑顔で最初の言葉がかえってきて、ホッと胸を撫で下ろしました。

その後は「どうして産めなかったのか」「産んだ人は、どこにいるのか…」との息子の質問に対し、「ママの体は赤ちゃんが産めない体だよって、神様がそうしてくれたんだね~」「でも、産んでくれたお母さんは遠くにいるけど、きっと●●が楽しく暮らせますようにって思っているから、産んでくれて、ありがとうって思ってようね(^-^)v」と話したら「うん!!」とうなづいていたそうです。

息子が「産んだお母さんじゃないんだ!!」と言われても、「そうだよ!!でも僕にとってのお母さんとお父さんは二人いるんだ」と明るく、強い心で成長できるようにと今もそう思って過ごしています。

今年で八歳になる息子も、その気持ちは変わらず、自分なりに受け止めて、今でと同じように笑顔で楽しく暮らしています。
これからも変わらずに、息子を大切に、息子が笑顔でいること、そして、一緒に成長して行きたいと思います。

お子さんとご縁がありましたご家族様、これからご縁があります待機されておりますご家族様、そして皆さまにとりましても、ますます明るい未来でありますよう私達も願っております。

私達に大切なかわいい息子を与えて下さったマザーさんやマザーさんご家族、そして遠くにいる息子を産んでくださったお母さんや、離れているお父さんにも感謝いたします。
本当にありがとうございました。
皆さま、ご清聴ありがとうございました。




◆ケースNo.6

◆告知実施日及びその場所:2012年3月
◆当時の子供の年齢:4歳7ヵ月
◆家族構成:父・母・長男・二男・長女(告知当時は二男まで)
◆実際告知した人:母

◆告知内容は?
 (H25年シンポジウムでお話しした内容です)

 皆さんこんにちは、今回は長男への告知についてお話したいと思います。ハンドルネームは。はなです。

 私達は不妊治療に終止符を打ち、夫婦2人の生活も幸せでしたが、「子育てをしたい、子供とともに人生を歩んでいきたい」と思う気持ちが強く、そんな中、導かれるようにして養子縁組の道を選びました。

 岡田さんから3人の子供たちとのご縁を授けて頂き5人家族となり、賑やかで幸せな有り難い毎日を送らせていただいています。

 まず、子供たちの紹介をしたいと思います。

 6年前の夏に長男ガッチャマンとのご縁を頂きました。今は5歳で幼稚園の年長組で、8月に6歳になります。色んな事に興味津々で元気いっぱいの逞しい男の子です。この会場に沢山の方がいらしてテンションも上がり、はしゃぎすぎて何か粗相はないか気がかりな所です。
 ガッチャマンとのご縁をいただいた2年半後に二男ゼロとのご縁を頂き今は3歳になります。4月から幼稚園に入園し、年少組になりました。ちょっと言葉は遅く、控えめなところもありますが、元気いっぱいの男の子です。
 末っ子の長女あいちゃんは去年ご縁を頂き、今は1歳3ヶ月になります。2人のお兄ちゃんの中にいて逞しく鍛えられつつも、華やかさと穏やかさをもって和ませてくれる可愛い女の子です。

 ガッチャマンとのご縁を頂いた時には本当に有り難く幸せで、その時にはまさか3人の子供たちの親になれるとは思いもしませんでした。3人の子供たちとの日々は慌ただしくもありますが、賑やかで楽しく、何気ない日常が幸せであり、言葉にできないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
 でも、そこには3人の子供たちの実親様が抱えた計り知れない辛さや寂しさがあり、子供たちの幸せを願いながら苦渋の決断のもと私達に託していただいたからこそ、今の私たち家族の幸せがあるという事をいつも心に留めています。実親様が我が子の幸せを願う想いの分まで私達は子供たちに沢山の愛情を込め、共に人生を歩んでいきたいと思っています。

 子供が成長していく中で、告知の時期について考えるようになりました。面接を受けた時に、「告知は小学校に上がるまでには済ませたほうがいい」ということを聞いていたので、日々成長していく小さな愛しい我が子を見ながら、その時がきたらどんな風に伝えればいいのか、どのタイミングがいいのか、そして告知をどんな風に受け止めるのだろうかと気がかりになっていました。ですがしっかり愛情を込めて大切に育てていくことで親子としての信頼関係や絆も深まり、「きっと大丈夫、子供なりに受け止めてくれる」と漠然と思っており、私達も子供たちの思いを全てを受け止めて行こうと思っていました。

 今は既に長男への告知を始めています。長男への告知の始まりは、改めてというよりは2人の兄弟を迎えていますので、二男を迎える準備をすることを機に少しずつ始まったように思います。
 最初の縁組みから月日は流れ、ガッチャマンははすくすくと成長し周りからも沢山の愛情をもらい、優しく逞しい男の子に成長してくれました。この子が持つパワーは本当に大きく、小さな身体で沢山の人に笑顔と愛を分け与えて幸せにしてくれ、私達は毎日を感謝の思いで過ごしてきました。

 ゼロとのとのご縁を頂いたのは、ガッチャマンが2歳7ヶ月の時でした。普通だったらお母さんのお腹の中に赤ちゃんがいて10月10日かけて大切に育まれ、だんだん大きくなって兄弟の誕生となり、「自分はお兄ちゃんになる」という自覚が出てくることでしょう。ですが養子縁組は兄妹が突然やってくるわけで、少しでも心の準備をさせてあげようと思いました。ガッチャマンは小さいときからおしゃべりも早く理解力もいい方でしたので、大きくなっても弟を迎えたことをきっと覚えているだろうと思い、告知をする上で次男を迎えるまでの時間は大切だと思っていました。
 そのためご縁の連絡を受けた時から兄弟ができたことについて話をしていき、これまで以上にスキンシップを図ることを心がけていきました。「ガッチャマン、赤ちゃん好き?」と聞いたら「好き」と答え、「兄弟ができたんだよ、赤ちゃんが産まれたよ!」と話をしました。兄弟という意味もよく分かっていないと思ったので、お友達の兄弟を取り上げて「兄弟って?」ということについて説明しました。すると、「赤ちゃんは男の子?女の子?」と聞いてきたので、「男の子よ」と言うと「女の子が良かった」というのが第一声でした。それから岡田さんから送っていただいた、まだ保育器に入っている弟の写真を毎日見せてお話ししました。二男を迎える前には名前を覚えてくれていました。
 二男を迎えてからは「赤ちゃん可愛い」と言いながらお世話をしてくれたりする反面、焼きもちも大きかったです。ですが普通に兄弟が誕生した家庭と何ら変わらない子供の反応だったと思います。
 数日が経ってゼロとの生活に慣れた頃、ガッチャマンに私達がガッチャマンを我が家へ迎えたときの話をしました。弟のときと同じように岡田さんがお父さん、お母さんの元に連れて来てくれて、お父さんとお母さんが空港までお迎えに行ったことを伝えました。長男には「初めて会った時も嬉しかったよ。小さくて可愛かったよ。初めて会ったときは『小さい、可愛い~!家に来てくれてありがとうね』と思ったよ」、と抱っこしながら長男と出会ったときの沢山の喜びや愛しい思いを伝えました。
 赤ちゃんが「普通に生まれる」という事を良く理解していない時期だったので、長男は「弟と同じようにしてうちの子供になった」と思っているように感じました。

 ガッチャマンは言葉も早かったので胎内記憶について聞いてみたことがあり、その時には「覚えていない」と言いましたが、その後の日常生活の中で胎内記憶と思われることを2回言いました。
 1回目は3歳5ヶ月の時、一緒にキッチンで後片付けをしている時でした。「ガッチャマン小ちゃいとき寂しかった」何で寂しかったの?と聞くと「岡田さんとむぅちゃんがいなくて一人で寂しかった」と言い、「どこで?」と聞くと「病院」と言いました。
 2回目はその1ヶ月後頃にお父さんと車で出かけ、ナビを扱っている時でした。海の方にナビを自分で移動してしまった時に、お父さんから「そこは海だよ」と言われた時に、「ガッチャマンは小ちゃい時に海で溺れてたら、岡田さんが抱っこしてくれた。岡田さんがお母さんにハイって渡してくれた。お母さんは裸ん坊だった」と言ったそうです。
 長男は出産間際までまで実母さんに気づいてもらえずに産まれてきたことが、そういう思いとして言葉になったのかなと感じました。誕生後、岡田さんの元に託されるまでの出来事もそのような言葉になったのかもしれません。今はその時に言った言葉は覚えていませんが、潜在意識の中に寂しさや不安を抱えているのかなという思いもあります。私達と家族になるために実母様から生まれて来てくれた尊い命ですし、「困難を乗り越えて産まれて来てくれてほんとうにありがとう」という思いでいっぱいなので、いつも抱っこして「生まれて来てくれてありがとう、お父さんお母さんの子供になってくれてありがとうね」と、思いを言葉にして伝えています。

 二男を迎えてゆっくり告知を始めてから特に大きな変化はなかったのですが、元々の甘えん坊が焼きもちも加わり、更に甘えん坊になったようでした。4歳3ヶ月の時に家に帰って来て好きな工作をしている時に「ガッチャマンはお母さんから産まれたんだよね。赤ちゃんはお母さんのお腹の中で長い紐で繋がっていて外に出て来たらハサミでチョキンと切るんだよね」と言いました。よく知ってるねどうして分かったの?と聞いたら、「幼稚園の他のクラスの絵本の中に赤ちゃんの誕生の絵本があり、それを見て知った」との事でした。「お母さんから産まれたんだよね」と言われた時にはドキッとしました。それまで幼稚園のお友達のお母さんがお腹が大きくて兄弟が産まれても、自分や弟の誕生と結びつけて考える事はまだないようで聞いてくる事もなかったからでした。
 こんな風に言ってきた今がしっかりとした告知の時かなと思いましたが、その時は赤ちゃんの誕生について話をしただけで、「お母さんから産まれて来たんだよね?」、の問いには「そうだよ赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなって産まれて来るんだよ」という一般論的な感じで話しました。

 その2週間後、お風呂で「弟が出来た時の事覚えてる?」と聞いたら「岡田さんが持って来てくれた」と言い、「弟が出来たときどんな気持ちだった?」と聞いたら、「嬉しかった」と言いました。「まだ兄弟がほしい?いたらいいなと思う?」と聞いたら「ほしい、5個でもいいよ」と言いました。「5人ね、そんなにいたら楽しいよね」と話をしました。
 さらに1週間後、パソコンでアルバムを見ている時に、小さい頃の写真を見ながら「赤ちゃんの時の事覚えてる?」と聞いたら、「岡田さんが持って来てくれたんでしょう?だってゼロくんと同じでしょう?、同じかなぁと思って」と言いました。このように思っているという事は、3週間前の「お母さんから産まれたんだよね」との問いかけは、産んでくれたママのことを言っていたのかなとも思えました。

 その後、4歳7ヶ月の時に改めて告知をしました。それはあいちゃんを妹を家族として迎えると決まった時でした。弟のときと同じように写真を見せて妹の話をしていました。弟のときは何となく理解していましたが、今回妹を迎えるにあったて「今が赤ちゃんの誕生から家族となるまでについて話し、告知をする一番いいタイミングかな」と思いました。
 一緒に遊んでいる時に、膝の上に抱っこして話をしました。
「お母さん、ガッチャマンに話があるの。赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなって産まれるって知ってるよね。」
「うん」
「だけどお母さんは、お腹の中では赤ちゃんを育てる事ができなかったの。でも子供が大好きでお父さんお母さんになりたいなと思ってたの。お父さんお母さんになれますようにってってお願いしてたら、岡田さんがガッチャマンが生まれましたよって教えてくれたの。ガッチャマンを産んでくれたママは赤ちゃんだったガッチャマンが可愛いと思ったけど、どうしても育てる事ができなかったの。ガッチャマンはお母さんが産む事は出来なかったけど、お父さんとお母さんの子供になるために生まれて来てくれたのかなと思うよ。生まれて来てくれて本当にありがとうね。
ガッチャマンに初めて会ったときは本当に嬉しかったよ、小さくて可愛い~と思ったよ。家に来てくれてありがとうねと思ったよ。ガッチャマンのお父さんお母さんになれて本当に幸せだなと思うよ。
ガッチャマンのこと大好きだからね、お父さんとお母さんの宝物だよ。生まれて来てくれて本当にありがとうね。」

 と愛する思いを沢山伝え、ぎゅうと抱きしめました。話をうなずいたりしながら静かに聞いていました。質問などなく、話し終わったら、「もういい?また後でね。」と言い、膝の上から離れておもちゃで遊んでいました。

 弟を迎えた時の事を覚えていて、自分も同じようにとは知っていましたが、今回の告知では「生んでくれたママがいる」ということを初めて言葉にして話しました。どう思うのだろうかと気がかりでしたが特に聞いて来る事はありませんでした。お父さんはその時はいなかったのですが、告知した事を伝え、様子を見守ってくれました。

 幼稚園年少の終わりの春休みに長女を迎えたのですが、急に兄妹が増えたことを周りのお友達に何か言われたりすることが気がかりでもあり、幼稚園の先生にも告知した事を伝え、一緒に見守ってもらいました。
 その後妹を迎えたときは特に大きな変化はありませんでしたが、10日ほど経った朝、長女にミルクをあげている時に、「ねえ、お母さん。ガッチャマンを最初に岡田さんからもらったんでしょう」と朝目覚めたら突然言いました。「そうね、ガッチャマンが最初にお父さんお母さんの子供になってくれたね、ありがとう。」と長男と出会えた事の幸せを沢山伝えました。そして、「お母さんが生んであげられなくてゴメンね。」と言うと「何もしてないのにゴメンねじゃないでしょう」と言いました。その後は妹の事を「赤ちゃんが生まれたんだよ、あいちゃんだよ。」と嬉しそうに私の知人に妹の事を紹介してました。
 幼稚園では「赤ちゃんが生まれたんだよと先生に言ったよ。」と報告してくれました。
またBPの説明会や面接会に参加させていただく機会があり、その時はちょうど父親参観の後に行く事になり、幼稚園からの帰り道で、「これからガッチャマンやゼロやあいちゃんが赤ちゃんの時お世話になった人に会いに行くんだ。」とお友達に話をしていました。「赤ちゃんの時に岡田さんやおばあちゃんやむぅちゃんにみんなお世話になったんだよ。」と話をしていたからかもしれません。
 説明会に参加するときに、「ここに来ている子供たちもみんな家と一緒だよ、そうやって家族になったんだよ。みんなが兄弟みたいなものだよ。」と話しています。「そうなんだ。」というだけで、特に何か聞いて来る事はありませんでした。

 しばらくして、「お父さんとお母さんのお母さんは誰?」と聞いて来たことがあり、それぞれの実家の祖母であり父は祖父である事を話しました。また、「子供が生まれないとお父さんお母さんにはなれないの?」ともよく聞いて来ました。

 告知から半年が経ち、「あのさあ~、あのさぁ~お母さん、お父さん」とためて話すような言い方をしながら、何でもないようなことを聞いて来たりすることがありました。きっと何か聞きたい事があるのだろうなと思っていました。「何か聞きたいことがあったら何でも言っていいからね。」と、自分から話してくれるのを待ち、見守っていました。

 3ヶ月が程経ち、皆で夕食を摂り食卓に座って話をしている時に、「お父さんお母さんはいいな、生んでくれた人にいつでも会えるから。」と言い、何だか少し硬い表情でした。「ばあちゃんのこと?」と聞くと「うん」と言いました。
 いつも「あのさぁ~あのさあ~」と問いかけていたのは、「産んでくれてママに会いたい」という思いを言いたかったのだろうと直ぐに思いました。
 ガッチャマンに、「産んでくれたママに会いたいと思う?」と聞いたら「会いたい。」と言いました。「そうだよね、会いたいよね、今は会えないけどガッチャマンが大きくなって会いたいなと思ったら会えるようにしてあげるからね」と言うと、何だかすっきりとした表情になっていました。
「何でも聞きたい事があったらいつでもお父さんお母さんに言っていいからね。」と伝えていますが、産んでくれたママに会いたいという漠然とした思いや、知りたいという思いがあり、それをうまく伝えられず、または遠慮していた気持ちもあるのかなと思いました。普段は元気いっぱいの男の子ですが、やっと私達に伝える事が出来た5歳の幼い心の葛藤を思うと、普通に会話をと思いながらも心をギュウと抱きしめてあげたい思いでした。その後は、以前みたいに「あのさぁ。」とためて話すような事はなくなりました。ガッチャマンの心の中でつかえていた何かがとけたのかもしれません。

 今回初めてアルバムを実母さんに送っている事をガッチャマンに言いました。ガッチャマンの成長を見守ってくださっている事やアルバムを送っている事を伝えました。工作が好きなので、産んでくれたお母さんに何か絵とか描いたり作ったりしててみる?とお父さんが聞いてみたら、最初は「知らない人だから描かない。」と言いながら好きな工作をお父さんにお願いしてました。
 翌日アルバムを郵送するにあたってもう一度聞いてみました。この時も好きな工作をしている時でした。「ガッチャマンを産んでくれたママはお父さんやお母さんにとってもとても大切な人で、ガッチャマンを産んでくれてありがとうという気持ちだよ、生まれて来てくれてありがとうね、こうやって出会えて嬉しいし幸せだよ。」と、実親さんに対する私達の感謝の思いを伝えました。
 ガッチャマンは工作しながら聞いていました。その時は次の作品のために白い紙の枠にガムテープでトリミングした物を前にしていました。
「生んでくれたお母さんの名前は何て言うの?」
「○○さんっていうよ」
「ゼロを生んでくれたお母さんの名前は?」
「○○さんっていうよ」
「ガッチャマンを生んでくれたママの髪は長い?」
「お父さんもお母さんも会ったことがないから分からないんだけど、岡田さんに聞いたら分かると思うよ。ガッチャマンがいつか会いたいって思った時は言ってね。直ぐには会えないけど、大きくなったらいつかきっと会えると思うよ。」
 するとガッチャマンは『ひらめいた!』と言って、絵を描き始め、誰かの似顔絵が出来ました。
「この絵はだれ?」と聞くと、
「産んでくれたママ」といい、一度も会った事ないママの似顔絵を描いていました。
 そして、絵に自分の名前を書いて『産んでくれたママありがとうって書きたいから字を書いて』と言ったので、紙にお手本を書いてあげて、それを真似して似顔絵の下に『うんでくれたママありがとう』と書いていました。
 こうしてママの素敵な似顔絵が出来上がりました。
その後、お手本に書いてあげた「ありがとう」の文字を書いた紙に、家族5人の似顔絵を描いていました。

 岡田さんに写真と一緒に送ってもらおうね、と言ったら『岡田さんが自分の絵だと思ったらどうする?』と真剣に言ったので、いやいやそれはないから大丈夫よと、みんなで笑いもありの時間でした。
 どんな思いでママの似顔絵を描いたのかは計り知れませんが、ガッチャマンが書いた言葉どおりの「生んでくれたママありがとう」の素直な気持ちだったのだろうと思います。この時も「ママに会いたい」という思いも確認しましたので、成長しそれぞれの立場がゆるされるのであれば再会させてあげたいと思っています。その後、ガッチャマンから絵やアルバムについてどうしたのかとか聞いて来る事はありませんでした。
 うちはお母さん、お父さんと呼ばれているのですが、最近パパ、ママとも呼ぶようになりました。もしかして何かしら生みのママへの思いも含んでいるのかなと思っています。

 私達は長男に告知をし、兄弟を迎えることを期に成長に合わせて話をし、今はその事実だけを理解していますが、成長と共に色んな疑問や悩みや会いたい、知りたいという様々な思いや葛藤が出てくる事と思います。

 告知はスタートしたばかりであり、そんな子供の心の変化に寄り添いこれからも成長に合わせた告知を続けていこうと思います。

 二男は3歳になりましたが、二男には二男の成長にあったタイミングで告知をしたいと考えています。その際は、長男が先に道を行くものとして同じ立場で弟や妹の心情も理解し少しでもサポートしてくれるのではないかと思っています。

 子供たちはどんどん成長し、思春期になり、難しい年頃にもなってくると思いますが、子供たちにたくさんの愛情を込め、親子そして家族としての絆を深めていこうと思っています。

 Babyぽけっとの子供たちは養子縁組という素晴らしいご縁の元に誕生した家族であり、皆が兄弟のようなものだと思っていますので、このシンポジウムやすずらん会たんぽぽ会などの交流を通じて、養子縁組という同じ立場を共有する子供たち同士の繋がりを大切にして行きたいと思っています。
 また、子供たち同士の友情を深め、成長と共に親には言いづらい、他の友達にも言えないような悩み等も出てきた時に、きっとお互いの思いを分かち合えるような環境があることはとても心強いのではないかと思います。

 これからも告知を続けて行く上で、子供たちには実親様が託された「幸せになって欲しい」という願いのもと、養子縁組の道を選ばれ親子になれた事への感謝を伝えていきたいと思っています。今ある幸せに感謝し、子供たちには「生まれて来てくれてありがとう」をこれからも伝えて行きたいと思っています。

 最後になりましたが、ご縁を授けて下さった岡田代表や、自らも子育てしながら活動されてるBabyぽけっとのスタッフの皆様に感謝いたします。これからもベビー救済により、沢山の小さな尊い命が救われ、養子縁組という素晴らしい家族の形がある事をもっと広く認知される事を願っています。また、子供たちの健やかな成長とご家族の皆様のお幸せを祈っています。

 まとまりのない話になってしまいましたが、お聞きいただきありがとうございました。

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 これはH25年6月のシンポジウムで長男ガッチャマンへの告知についてお話しさせていただいた内容です。
 これまで説明会&面接会、シンポジムやすずらん会等に参加させていただける機会があり、その時には子供たちはみんなガッチャマンやゼロとあいちゃんと同じようにして家族になったのだよと伝えていました。告知を迎える子供たちにとって、このようにしてたくさんの幸せな家族に出会える場や機会がある事は真実告知を受け止めていく上で大切だと思います。

 今年3月末に転勤で引っ越してきたのですが、引っ越し前に仲良くしていたお隣さん(母の友達)に『ガッチャマンには3人のお母さんがいるんだよ。うんでくれたママとお母さんと赤ちゃんの時に育ててくれたお母さん(岡田さん)』と自分で言ったそうです。そしてそ私達両親には言わなかったのですが、その後お隣さんとお友達と遊びに出かけた時に『引っ越してからもお友達にもう一人お母さんがいるって言わなくちゃいけないかな?』と聞いてきたそうです。親には遠慮してなのか聞いて来る事はなかったのですが、そういう胸の内を話せる人に巡り会えた事に感謝しています。引っ越した先の新しいお友達には知られたくないのか、複雑な思いがあるのだと思います。ガッチャマンには引っ越してからは、『新しいお友達には言いたくないなと思ったら言わなくていいよ』と何気に会話の中で伝えています。

 小学校に入学したこの春に学校で絵を描く機会があって『好きな物を描いてって先生が言ったけど、これ以上浮かばなかった』とお風呂に一緒に入っていた時に言いました。その言葉の中に含まれている何かを感じたので、『一番会いたい人を描いてもよかったかもね』と言ったところ『うんでくれたママ』と直ぐに返事が返ってきました。何かしらきっとそのようか思いがあるのかなと様子を見ていて感じていた頃でしたので、「会いたい」という思いを言葉にして引き出させてあげる事ができたことも良かったのだと感じました。
 その後分かったのですが、小学校初めての参観日に発表する「私の好きなのも」ということで絵と文章を考えているときだったようです。
いろんな事をきっかけに様々な思いが浮かんできたり、成長と共に自分のルーツを知りたいという思いは自然な感情として出てくると思います。

 子供たちには産まれてきてくれたこと、親子となれたことへの感謝を日々伝えています。そして、様々な思いを共に乗り越えて、子供たちは産まれてきたことへの幸せと自分を産んでくれた実母さんへの感謝の想いを持って、いつの日か再会出来る時を迎えられることを願っています。

 これからも成長に応じた告知が何年も続いていきますが、子供たちの心の成長に寄り添っていきたいと思っています。

平成26年6月 はな




◆ケースNo.5

◆告知実施日及びその場所:2010年 6月・12月 夜 自宅
◆当時の子供の年齢:3歳
◆家族構成:父・母・息子・娘
◆実際告知した人:母
◆使用した絵本
  「ねえねえおしえてわたしのうまれたよるのこと」
  「ふたりのおかあさんからあなたへのおくりもの」
   「どうして私は養子になったの?」

◆告知内容は?

我が家は現在5歳の男の子・ryomaと2歳の女の子・haruのご縁を頂き、4人家族にして頂きました。毎日賑やかに暮らさせて頂いております。現在年長児のryomaの告知についてお話させて頂きます。

ryomaに告知を始めたのは2歳半からです。漠然と3歳位からかと思っていましたが、少し事情があり早めに始めました。
と申しますのは、当時4歳上の姪を平日ほぼ毎晩預かっていて、ryomaを我が家に迎えた日も当然姪は家にいて、赤ちゃんのお世話をしたくてしたくてそれは大変な張り切りようでした。姪もまだ兄弟がいなくてとても嬉しかったようです。よくお手伝いをしてくれ、あやしてくれていました。
ところがryomaも2歳になりお喋りも早く、一丁前にぺらぺら喋るようになりました。自我も芽生え始め、二人でケンカも始まりました。お互いなかなか気が強く、姉弟のように真剣に遣り合っていましたので、ケンカの延長で姪の口からryomaに伝わる前に話しておきたかったのです。

マザーさんに相談して、まずは絵本の読み聞かせから始めました。用意した絵本は「ねえねえおしえてわたしのうまれたよるのこと」、「ふたりのおかあさんからあなたへのおくりもの」、「どうして私は養子になったの」の3冊でした。取り寄せて読んでみて「ねえねえ・・・」なら解り易いかなと寝る前の読み聞かせ2冊の内の1冊に読むようにしましたが、始めの内はよく聞いているのですが、繰り返しが多く途中で飽きてしまうので少し間隔を空けて読みました。が、読み始めると同じことで、あまり興味を引かなかったようです。他の絵本も読んでみましたがまだryomaには難しいようでした。2歳8ヶ月で幼稚園の2歳児クラスに入園し、もっぱら興味は新しい世界に向いていたかもしれません。物語やしまじろうの話を好んでいました。

3歳になったら話し始めようと思っていましたので、3歳を迎え、いつ話そうかチャンスを伺っていました。できればryomaと2人、落ち着いた気持ちの時に話したかったからです。ある晩、おもちゃで遊ばずにゆっくりと湯船に浸かっていた時、今かなと話し始めてみました。

“ryoちゃん、赤ちゃんはお母さんのお腹から産まれるって知ってる?”そんな話し始めだったと思います。妊婦さんのお腹に赤ちゃんがいることをよく知らなかったので、そこから話しました。“ほら○○ちゃんのお母さんはお腹が大きいよね。あのお腹の中には赤ちゃんがおるのよ。みんなお母さんのお腹の中で大きくなって産まれてくるの。ryomaもそうやって産まれて来たのよ。でもね、お母さんのお腹じゃ赤ちゃんが育たなくて、お母さんは赤ちゃんを産むことができなくてね、ずっと神様に赤ちゃんを下さいってお願いしてたの。そしたら神様がマザーさんに、このお家に来る赤ちゃんが産まれましたよって教えてくれて、マザーさんが産まれたばかりのryomaを病院に迎えに行ってくれて、飛行機に乗ってryomaをこのお家に連れて来てくれたのよ。だからryomaには産んでくれたお母さんと、このお母さんとマザーさん、3人のお母さんがいるのよ。みんながryomaのことをいつも見守ってくれてるよ。ryomaを見守ってくれるお母さんが3人もいてryomaは嬉しいね。”“うん”“お母さんはryoちゃんがお母さんの子供になってくれて嬉しいよ”“ryoちゃんもお母さんの子供で嬉しいよ”

 ゆっくりと穏やかな口調で重くならないように笑顔で話しました。多分話の半分も解ってなかったと思います。いつもの会話と違うことに“あれ?”って感じだったと思います。ryomaの返事はいつもの受け答えの習慣というところでしょう。初回は短く切り上げ、すぐお風呂遊びをしました。
 
 まだ3歳になったばかりでよく理解してないこともあってか、ryomaの様子に特に変わったところはありませんでした。少し間を空けながら寝る前のお布団の中やお風呂で何度か同じ話をしました。そうしているとryomaには“複数のお母さん”よりも赤ちゃんが産まれるということに興味がいったようで、ある日“僕、赤ちゃんが産みたい。”と言いました。おっ、そう来たかあ。お母さんという存在に憧れたのかな?とても素直な可愛い反応だと思いました。もう少し大きくなって事が解り始めてから話してたらきっとまた違う反応なのでしょうね。

 “そっかあ。ryoちゃんは赤ちゃんが産みたいのかあ。いいねえ。お母さんも産んでみたかったなあ。みんな赤ちゃんが産める訳じゃないけど、そうかあ、ryoちゃんも作ることはできるかもね。”そんな風に答えると“うん!”と笑ってくれました。
 何度目かの話をする時に“ryoちゃんを産んでくれた、ryomaに命をくれたお母さんはね、本当はryomaを育てたかったのよ。一緒に住みたかったのよ。でもね、それができなくて今は遠くからryoちゃんのことを見守ってくれてるのよ。”少しずつ話の内容を増やしていきました。そして必ず話の終わりに“お母さんはryoちゃんが子供で嬉しいよ。ryoちゃんはお父さんとお母さんの宝物よ。”とryomaが不安にならないように話をしました。

 しばらくしてマザーさんから2人目の該当を頂きました。前の会では基本的に子供は一人。多くの子供を待ち望むご夫婦に少しでも多く家族になって貰うよう兄弟の該当は無いと理解しておりましたので、打診を受けた時には天にも昇る気持ちで、今か今かと逸る気持ちを抑えながら日々を過ごしておりました。そして2人目の該当が現実となり、ryomaには家族の成り立ちを解って貰うとても良い機会だと思いました。
 “ryoちゃん、ryoちゃんに妹ができるよ。赤ちゃんがお家に来てくれるよ!”“えっ?赤ちゃん?!”大喜びです。“マザーさんが飛行機に乗って赤ちゃんを連れて来てくれるよ!”“やったあ!”
その頃同居していた義父の病気が進み、意識障害や認知症が始まっていたり、私の実家の父もICUにいたりで大人の世界では複雑な問題が起こっていたのですが、ryomaは無邪気に“赤ちゃんが来る♪”と喜んで言って回っていました。幼稚園でもきっと先生やお友達に言っているのだろうなと思いましたが、敢えて規制はしませんでした。

実はryomaは2歳前からお友達に手が出てしまい、通っていた支援センターの先生にも相談していましたがなかなか治らず悩んでおり、入園に際しても親のいない集団生活に入ることで良い方向に向かう様、園の先生に相談しての入園でした。なので最重要項目はそこであり、養子であることは園には伝えていませんでした。またマザーさんにも相談し、小学校の先生には言っておいた方が良いけれど園ではまだいいでしょうとのことでした。
 只、赤ちゃんが産まれるのではなく飛行機で来るとは、聞かされた先生やお友達も混乱するでしょうし、私のお腹もペッたんこですから、兄弟として養子を迎えることを先生に報告しました。ryomaが養子であることはryoma自身がしっかり理解してから園に伝えたいと思っておりました。

 ここで疑問に思われる方がおいでるかと思います。少し前に一緒に暮らし始めてから実親様の下に帰られた赤ちゃんのケースがあったように、ryomaを迎えた当時も同じようなケースがあった後でした。BPになってから周囲にも早く特別養子縁組であることを伝えるよう指導されていると思いますが、当時は迎えて一ヶ月位はあまり多くの方に知らせないほうがいいだろうと勧めて頂いておりました。
親しい方や職場の方、ご近所の方などにはお知らせしていましたが、親戚でも滅多に交流のない方や、また検診などで知り合うお母さん達には特にお話をしていませんでした。
 
 直接お伝えしてなかった親戚や知人なども人を介して伝わっていたり、私と夫、また双方の両親なども伝えたい人の認識はそれぞれなので、私達親子と直接接点のない方が知っていたり、逆に接している方に伝えていなかったり、この件に関しては何とも座りの悪い状態でした。
敢えて言って回ることもないかなという認識で、話がそういう向きになればお話しし、聞かれれば答えるというスタンスで現在に至っております。実際幼稚園の先生にお話したのはryoma本人がきちんと理解した昨年、年中さんになってからです。こうして年長児を持つ親として事例をお話しておりますが、周囲への告知については、迎えてすぐフルオープンにして来なかった為、皆さんより後を行く現状でしょう。大事な人に理解してもらえていればいいかと現段階では考えています。今後成長していく中で子供達の性格等によってどういう形がいいのか見極めていこうと思います。

 さて、話を元に戻します。ryomaは妹を迎える準備を張り切って一緒に手伝ってくれ、空港へも勿論一緒に意気揚々と迎えに行きました。耳で聞いていたことを実際体験した訳ですが、赤ちゃんを迎え、妹が出来た興奮で自分の事と摺り合わせ出来たのは多分しばらく経ってからの事だと思います。何しろミルクのお世話やオムツ替え、沐浴の準備とお手伝いが忙しく、よだれが出た!ウンチだ!とそれはそれはいそしく過ごしており、ryomaを迎えた時の姪の様子そのままでした。

 最初に話し始めてから半年位経ってからでしょうか。ある日お布団の中で私のお腹に丸まるようにして私のお腹に手を当て、“ryoちゃんはお母さんのお腹の中から産まれたんだよね?”と聞いてきました。あっ、理解したんだな。そう思いました。お友達のお母さんを見たり、赤ちゃんが産まれた話を聞いたり、また妹を迎え、都度私には言いませんがどういうことなのかryomaなりに理解していったのでしょう。
“ryoちゃんはお母さんのお腹から産まれたかった?”“うん”“そうかあ。お母さんもryoちゃんを産みたかったなあ。前にもお話ししたけどお母さんのお腹はね、赤ちゃんを産めないのよ。産めなかったけど、ryoちゃんと一緒にいれてお母さんは嬉しいよ。ryoちゃんは?”“うん、僕も嬉しいよ”特に泣く訳でも喜ぶ訳でもなく淡々とした会話で、ryomaはすぐ眠りにつきました。
 
 またしばらくしたある日“僕はね、女に産まれて赤ちゃんを産みたかった”と言いました。誰かに女の人しか赤ちゃんが産めないと教わったのでしょう。純粋に身近な存在に憧れてくれるryomaを可愛らしく思い、特に性差を教えずにきておりました。“そうかあ、ryoちゃんはお母さんになりたい?”“うん!”可愛いものです。
 “お母さんはね、赤ちゃんを産めなかったけど、こうやってryomaとharuちゃんと家族になれてとっても幸せよ。色んな家族があって、色んな幸せがあるのよ。”
実際には多くの葛藤を乗り越える試練が必要でしょうが、違いを否定したり悲観せず、認めていければいいと願っております。余談ですが、夫は嫌がりますが、私は将来ryomaがMr.レディになっても認めてあげたいと思っています。

 妹ができたことで産んでくれたお母さんのお名前を教えました。“ryoma”を産んでくれたのは○○お母さん。haruを産んでくれたのは◇◇お母さん。”
年中さんになり、お友達とお手紙交換をするようになっていましたので、実親様にアルバムをお送りする際にryomaからのお手紙も添えさせて頂きました。“○○おかあさんへ。うんでくれてありがとう。ryoma。”短い手紙です。
 
 ryomaを産んで下さったお母さんは、当時高校一年生のとても若いお母さんです。ryomaが手が出て困っていた話をした時に、マザーさんが“DNAが若いからね”と仰られた若さです。故に出産後の将来を考えてご家族に押し進められる形で養子に出されたとお伺いしています。ご自身で育てたいお気持ちが強かったようです。そんなこともあってか、ryomaのアルバムは最初の一冊はご覧頂いたようですが、以降実親様のお祖母様のところで止まり、実親様もご両親もご存知なかったそうです。残念なことですが、今もアルバムも手紙もご覧頂けているかどうかは定かではありません。
 
 一方haruの実親様はお手紙やプレゼントを送って下さいます。実のお兄さん達も一緒にアルバムを見てくれてプレゼントも選んでくれるようです。ryomaは“僕には?”と聞きます。“ryoちゃん、お母さんも色々だからみんなプレゼントを送ってくれる訳じゃないのよ。でもね、みんな遠くからずっと見守ってくれてるのは同じよ。”ryomaは納得していないかもしれませんが、haruの実親様やお兄さんの話をryomaにするようにしています。
後日マザーさんが実親様のお家に連絡を取って下さった際、実親様のお母様が“贈り物をするのは養親さんに悪い気がして。もうiyomodoki家の子だから。”と仰られていたそうです。この暖かいお気持ちをもう少し大きくなってからryomaに伝えたいと思います。

ryomaはお調子者というかお茶らけたところがあって、“ryomaを産んでくれたお母さんは誰?”と聞くと“マザーさん!”と答えたりして、テレというか、お子さんにもよると思いますが、きっと男の子は結構繊細なのかなと感じています。

昨年夏、今年初めと続いて私達夫婦の子供のいない時期を癒してくれていた犬が亡くなりました。また2月には義父が亡くなりました。友引を挟んだので長くなったのですが、亡くなってから4日間、ryomaはずっとおじいちゃんの夜伽をしてくれ、お葬式・火葬のときにはご住職さんが驚かれるほど泣いていました。今も斎場の前を通って看板が立っていると“今日は誰か死んだんだね。可愛そうだね。”立っていないと“今日は誰も死んでないね。良かったね。”と言います。“おじいちゃんはね、■■や▲▲ちゃん(犬の名前)のいるところへ煙になって行ってお空から見てくれてるよ。”昆虫採集や食べ物も含めて、只今生と死を学んでいる最中です。

haruは言葉がゆっくりめなのでまだ本格的な告知はしばらく先になりそうです。最近「ふたりのおかあさんからのおくりもの」を時々読み聞かせしています。ryomaは理解できているかなと感じますが、haruはまだまだこれからです。haruはつい先日実親様からのプレゼントが届いた日に、理解はできないだろうけれど、“haruを産んでくれたお母さんが送ってきてくれたよ。大きいお兄ちゃん達がharuの好きなキティちゃんを選んでくれたんだって。”と話しました。“うん”と一応返事はしましたが、ほぼ無反応、それより目の前のキティちゃん!でした。

子育てにおいて上の子を尊重してあげて上手く育てられたら下の子も後を付いていくと聞きますが、告知についても上の子に肯定的に捉えてもらえていれば下の子も上手くいくのではないかと思っています。これから成長していく中でどうなっていくのか想像がつきませんが、“あなたたちに出会えて、家族になれて幸せだよ。ありがとう。”と、それだけはずっと伝え続けていきたいと思います。 

 最後に、♪あのね、ママぼくどうして生まれてきたのか知ってる。という歌をご存知の方も多いと思います。ryomaが好きでよく歌ってくれるのですが、“あのね、ママぼくどうして生まれて来たのか知ってる。ぼくねママに会いたくて生まれてきたんだよ。”
きっとここにいる子供たちは欲張りさんで、3人のママに会うために生まれてきてくれたのだと思います。

H24.6 シンポジウムにて当時5歳のryomaについてお話させて頂いた原稿です。最初はシンプルに話し、時々出てくるryomaの疑問に答えたり、BPの皆さんと交流する場に出かける前などに説明したりして少しずつ内容が深くなっています。“告知”という言葉を聞くと衝撃的な事実を一度に話すようなイメージもしますが、これからもずっと、ryomaが人の親になってからもお互いに話していくことでしょう。
命を与えられた幸せを心の底から感じていて欲しいと願っています。
これからお話をされる皆さんに少しでも参考になれば幸いです。

                H25.4 iyomodoki




◆ケースNo.4

◆告知実施日及びその場所:2011年8月 昼間 自宅
◆当時の子供の年齢:4歳7ヵ月
◆家族構成:父・母・娘
◆実際告知した人:母
◆使用した絵本:無し

◆告知内容は?

話の流れできいちゃんはお母さんから生まれたんだよね?と聞かれました。
今が告知するときなのかなと感じ、
「きいちゃんを産んでくれたのは別な人なんだ。お母さんはお腹が病気で赤ちゃんを産むことができなかったの。でもずっときいちゃんを待っていたの。中々来てくれないなぁと思っていたら、きいちゃんが生まれましたよって言われてお父さんと二人ですっごく嬉しかったんだ。」と伝えました。
そして抱っこして、きいちゃんが生まれてきて良かった。大好き。可愛い。とにかくいっぱいだっこして、ぎゅうっとしました。

◆子供の反応は?

最初の言葉は
「お母さん、嘘ついていたの?」でした。
嘘という言葉を知っていたがびっくりでした。
多分前に赤ちゃんはお母さんから生まれるという話をしたことがあったので、自分に置き換えていたのだと思います。
「嘘ついてないよ。」としか答えられませんでしたが、娘は普段通りの様子でした。
理解できたのか、そのときにはよくわかりませんでした。

◆告知後の感想及び子供の状況は?

いつ伝えよう、いつ伝えようと思っていた矢先に以前の告知掲示板で同年齢のお子様達の告知の話を聞き、そうか今はチャンスなのかと思ってはいました。
そう思っていたからこそ、告知できたのだと思っています。
最初の告知は親子関係の第一歩。本当にそうだと思います。
これからもまだまだ長く続くことでしょう。
夫婦も他人、そこから生まれた愛情、信頼関係。
親子も同じかな。強い絆、愛情、信頼。
娘に出会えて本当に良かった。
大変な思いをして産んでくださった実母さま、そしてご縁を作っていただいた会に再び感謝しました。

(子どもの状況について)

告知後、数ヶ月なんとなく赤ちゃん返りというか甘える時期が続きました。
幼稚園も毎朝泣いて通園。行けばすぐ泣きやみ、お友達と遊んでいるという話でした。
数ヶ月したとき「なんで毎朝泣くの?」と聞くと「きいちゃん、なんで泣くのか、わかんない」と言います。
家に帰ると「だっこして。なでなでして。」勿論本人がいやというほど抱っこしました。
年があけ、今は毎日ニコニコで幼稚園に通っています。

昨年末くらいまで父親に「きいちゃん産んだの誰だか知ってる?」ということをお風呂、公園、父親と二人でいるときにはいつも聞いていたそうです。「誰が産んでも、きいちゃんのお父さんとお母さんはここにいるんだよ」と伝えると、その後その話はしなくなっているそうです。

最近、娘が「きいちゃんはお父さん、お母さんと一緒にいたくて来たんだよ。」と言うので「お母さん、きいちゃんを産みたかったな」と言うと「きいちゃんもだけど、ちゃんときたじゃん。ずっと一緒にいられるんだよ」と。深い意味が理解できているとは思いませんが、娘の言葉が嬉しくて泣けてきました。

今でもたまに思い出したように、出自の事を聞いてきます。
今日は、マザーさんがきいちゃんをお父さん達のところに連れてきてくれたこと、生まれたばかりのきいちゃんをむうちゃん、おばあちゃんが抱っこしてくれていたことを話したばかりです。

思い出しましたが、困ったのが幼稚園でいろんな先生や友達にその話をしていたこと。
我が家は今年転居して来たこともあり、新しい幼稚園には養子の件は伝えてありません。
子どもの読む絵本には養母の話は結構いっぱいあり空想かと先生達は聞いても気にしない気がしますが、誰それかまわず伝えるというのは、なんとなく落ち着かない気分でもあったので、娘にはこの話は大きくなってからお父さん、お母さん、きいちゃんと3人が仲良しで嬉しいねと話すためなのだから三人の内緒の話だよ。と伝えました。
内緒話が嬉しい年代なのか、その後は話していないようです。




◆ケースNo.3

◆告知実施日及びその場所:2011年2月 幼稚園に入る前 自宅のリビングにて
◆当時の子供の年齢:3歳4か月
◆家族構成:父・母・やんちゃくん(兄)・わんぱくん(弟)・愛犬2匹・猫2匹
◆実際告知した人:母
◆使用した絵本:無し

◆告知内容は?

TVで出産の内容の放送をしていて、その時に赤ちゃんはこうして生まれてくるんだよ。
と説明し、皆、お母さんのお腹から生まれてくるんだけど、実はやんちゃ君は、ママのお腹から生まれたんじゃないんだ。
生んでくれた人がいるんだよ。と本当は、ママが生んであげたかったんだけど、ママは生んであげることが出来なくて。
パパとママが一生懸命お願いして、やんちゃ君が来てくれたんだ。
やんちゃくんと一緒に暮らしたくて、家族になりたかったんだ。
パパとママの子供になってくれて、ありがとう。大好きだよ。と伝えました。

◆子供の反応は?

その頃は、もう弟のわんぱくんがいたので、『マザーさんがわんぱくんを連れてきてくれたんだよね?』
とちゃんと覚えていたのもあり、うんうんと静かに聞いてくれてました。
話が終わった後、パパとママが大好きと抱き着いてきて、ぎゅうっと抱きしめました。
まだよく理解出来ていなかったのもあり、大きく変化はありませんでした。

◆告知後の感想及び子供の状況は?

この1年、何かの機会に産みのお母さんの事を話してきました。
わんぱくんが来て弟が出来て、告知を始めて、幼稚園に入園して、とたくさんのことがあり、その都度、少々赤ちゃん返りがありましたが、すぐにおさまりました。
親ばかですが、やんちゃくん自身がすごく頑張ってきたと思います。

初めは、泣いてばかりで先生に抱っこをせがんでいたのが、もうお兄ちゃんだからと言って、しなくなり、特に幼稚園では頑張っていたようです。

それが12月頃から目に見えて、様子がおかしくなりました。
頻繁に指しゃぶり・極度に甘えて・わんぱくんに怒る・親もおもちゃも何でも独り占め。
どこのご家庭でも下の子が出来たら、上の子が赤ちゃん返りをするのでおかしいと思いながらも、様子を見てました。

それが、1月に入り幼稚園に行きたくないと言い出しました。
1日休めばまた行くだろうと思っていたら、毎日のように言う様になり。
少し神経質なので、お友達と喧嘩した事をいつまでも引きずって、同じことを言い。
少しのことで癇癪を起したりしました。
ああ、来たかと思いました。

だいぶ物事がわかるようになり、不安になったのでしょう。
これまで良い子で育てやすかったので、油断してました。
今までやんちゃくんなりに背伸びして、お兄ちゃんして、頑張ってきた分のストレスも出たんだと思います。

幼稚園の担任の先生にすべてをお話して、無理に怒って行かせるのではなく、やんちゃくんの様子を見ながら通園することにしました。
告知の影響の第一段階、ここが親としても初めての踏ん張りどころだと思い、毎日子供に目をやって行こうと思います。




◆ケースNo.2

◆告知実施日及びその場所:2011年8月10日、10日間の夏休みの前夜、寝室・就寝時
◆当時の子供の年齢:5歳8ヵ月
◆家族構成:父・母・娘・愛犬1匹
◆実際告知した人:母
◆使用した絵本:無し

◆告知内容は?

〇〇のパパとママになれてよかった!1番大事!
大好き!という事をたくさん伝えてから、
「でもママが出来なかった事はママのお腹から産んであげることが出来なかった事。ママのお腹では赤ちゃんが元気に育つことが出来ない事。」
「だからママは毎日神様にお願いして、そしたら病院で生まれた小さな赤ちゃんの〇〇をパパとママに授けてくれたという事」を伝えましたが、まだきょとんとしてわからない様子。

もう1度ママのお腹から産んであげられなかったと伝えると
「じゃあ誰から産まれたの?」でした。
「違う人から生まれたんだけどその人はまだ小さくてお母さんにはなれないからパパとママが〇〇を大事に大切に育てますって約束してパパとママになったんだよ。」と伝えました。

◆子供の反応は?

すぐには理解できない様子。
とまどっているようなびっくりしたような、どうしたらいいかわからない様子でしたが、いつも以上に甘え「ママ大好き~」と抱きついてきました。

泣くこともなくでもこれ以上は話したくない様子で、暑い~とか眠くなっちゃった~とか話を終わらせようとふざけたりおちゃらけていました。
涙声の私に気づき歌も歌ってくれました。

今までとは何も変わらない事、これからもずっとパパ、ママにとって大事な娘だと伝えて話を切り替えました。
そして私に抱きついたまま寝てしまいました。

◆告知後の感想及び子供の状況は?

思ってもいなかった言葉を突然言われ、動揺させてしまいましたが、ある程度話も理解でき自分でも考えられる、そんな年頃になり告知の時期としてはよかったと思いました。

1年後だったらもっと傷つけてしまったかもしれません。娘自身が今まで大切に育てられてきたという安心感、そして親子の絆がしっかり出来ていれば大丈夫だと感じました。

これからも成長するごとに家族みんなで壁を乗り越えていきたいと思います。

「子供の状況」
・翌日は出先でいつもより甘えていましたがあまり変わらず明るくて安心しました。パパが昨夜のことを聞くと「忘れちゃった~」と言ったようですが、話は分かっている様子。

・4日後、プールで少しでも私から離れるのを嫌がり「ママから生まれなかったけどママの子供だもん」

・10日後、遊びに向かう途中「ママは○○が小学生になってもお母さん?」「当たり前じゃん!!」と言うと嬉しそう。

その後甘えん坊の娘はさらに甘える事はありましたが、特に変わった様子も見られず明るく元気に過ごしています。
特に聞かれない限り話はしませんが、2か月後に少し聞かれることがあり話すと、「もうわかったからやめて」と言われました。
娘にとってこの話はしてほしくない、嘘であってほしいという気持ちがまだあるように感じます。




◆ケースNo.1

◆告知実施日及びその場所:2011年7月31日
◆当時の子供の年齢:5歳7ヵ月
◆家族構成:父・母・本人(長男)
◆実際告知した人:母
◆使用した絵本:「うまれてきてくれてありがとう」にしもとよう (童心社)

◆告知内容は?

この本を読み聞かせた後、お腹に入ったときのことを覚えているか尋ねたりしながら、「○○はね…」と切り出した。
お母さんのお腹が壊れていて入れなかった。それでも○○に会いたかったから、神様にお願いした。そうしたら神様が○○を一度よその女の人のお腹に入れて誕生させてくれた。子どもを欲しいと思っている夫婦だとそのおうちの子どもになってしまうから、子どもを産んでも育てられない夫婦を神様は選んだ。

でも、そのご夫婦も○○のことを大事に思ってくれた。だから、○○を育ててくれるお父さんとお母さんを探してほしいとマザーさんに頼んでくれた。マザーさんがお父さんとお母さんを探してくれて、知らせを聞いてお父さんとお母さんは○○を大喜びですぐ迎えに行った、と話して聞かせた。

「ずっとずっと会いたかったから、会えたときはすごく嬉しかった。」と話し、絵本のお話と同じように「うまれてきてくれてありがとう。だーいすきだよ」と息子を母親がぎゅっと抱きしめた。息子は、母親の胸に顔をすり寄せて、甘えた声を出した。

次に、それまでずっと側で話を見守っていた父親が、同様に「生まれてきてくれてありがとう」と息子を抱きしめた。

◆子供の反応は?

下を向いたり、母親の顔を見たりしながら、少し落ち着きはなかったが、淡々と聞いていた。時折、おちゃらけているような素振りさえみせながら適当に「うん、うん」と相槌を打っていた。あまりに驚いて平静を装おうと一生懸命だったように思われる。

◆告知後の感想及び子供の状況は?

その後、息子の様子にいつもと変わったところはなく安心した。かえって、あまりに普段と変わらぬ様子に、息子が告知の内容を理解していないのではないかと心配になったほどだ。

しかし、この話から2カ月半たって、息子の方から「僕はお母さんのおなかの中から出たんじゃないんだよね!?」と聞いてきた。そこで、以前した話を繰り返した。

それからまた1か月後、「僕を連れてきた人は、僕をどうやって連れてきたの?お腹を切って取りだしたの?」と尋ねてくる。今回は「誰から」ではなく、「どうやって」生まれてきたか疑問に思ったらしい。お腹を切ったのではなく、自分から、お腹の袋から出て、赤ちゃんの通る道を頭で押し広げながら外に出てきたことを説明すると納得する。

何かの話から、時折、息子は養子という現実を思い出すようだ。その都度、息子の思いをまっすぐ受けとめ、寄り添って繰り返し話をしていかなければならないと考える。


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